息子と歩んできた日々——保育園から中学の入口まで、この子が育った順に

息子が1歳を過ぎたころから、今の小6まで。振り返ると、まっすぐ進んだ道ではありませんでした。行っては戻り、また少し進む。その繰り返しでした。

息子と歩いてきた時間を、起きた順にたどってみます。どこから読んでも構いません。今のあなたのお子さんと近いところから、そっと開いてもらえたらと思います。

制度や手続きのことで迷っているときは、就学から進路までの流れをまとめた発達障害の子の就学と進路、全体の地図のほうが役に立つかもしれません。ここでは、一人の子が育っていく時間そのものをたどります。

保育園の時代——加配とともに

まだ診断もついていなかったころ、療育に通うかどうかで、夫とも実家とも意見が割れました。そのときのことは療育は可哀想じゃない——夫も親も反対した。それでも動いた理由に書いています。

保育園では加配の先生に支えてもらいました。その選択に至るまでの迷いはなぜつらい選択をするのか——加配保育で息子が変わるまでの記録へ。運動会は会場も学年の形も年によって変わりましたが、4年続けて同じ場所から息子を見ていました。その記録が運動会の4年間——加配の先生が、常にそばにいなくてよくなるまでです。

年長になると、就学相談が始まりました。特別支援学校を見学して、自分の中の思い込みが崩れたのもこの時期です。そのときのことは就学相談で初めて知ったこと——特別支援学校・支援学級・普通級、どう選んだかに書いています。

小学校に上がって——環境を整え直す

小学校に上がってすぐ、うまくいかないことが続きました。学童をやめた春のことは小1の春、学童をやめた——息子が荒れた本当の理由に。

行き渋りが続いた小1から小4の4年間、そばで支えてくれたのが相談支援専門員さんでした。その出会いは、探して見つけたというより、偶然が重なった結果でした。あの4年間だけの話ではなく、今も息子のことでお世話になっています。相談支援専門員と出会えたのは、偶然でしたに残しています。

息子を知る——WISCという検査

息子のことを、私はわかっているようでわかっていませんでした。WISCという検査を2回受けて、言語理解とワーキングメモリの差が見えたとき、日々の困りごとの理由が少しつながりました。WISCを2回受けた話にまとめています。

支援学級に戻るという選択——転籍のこと

息子は小学校の入学と同時に支援学級に籍を置き、小2の春に普通級へ移りました。そして小5の春、また支援学級へ戻っています。転籍は2回。一度決めた場所が、その子に合い続けるとはかぎりませんでした。

進むのではなく戻る、という判断をしたときのことは支援学級に戻ることを選んだ日——転籍2回の記録に書いています。

高学年、挑戦が増えた

高学年になると、息子のほうから動く場面が増えていきました。放送委員会に手を挙げた話は支援学級という居場所があったから、放送委員会に挑戦できたへ。放課後等デイサービスでの小さな変化を先生が言葉にしてくれた日のことは「成長しましたね」と先生が言った日に。そして進路について、息子が自分の言葉で口にした帰り道が「普通級に行く」と息子が自分で決めたです。

思春期の入口で

このあたりから、息子は少しずつ変わり始めました。私が「何をしているか」より「どんな表情か」を気にするようになったのも、この頃です。

生意気な口をきくようになっても、その奥で育っているものがある。放デイの心理士さんに「建前は、社会で頑張ろうとしている証」と教わってから、家で荒れる日の見え方も変わりました。そう思えるようになるまでには、少し時間がかかりました。

同じ時期に、生活のほうも組み直しています。こちらは年齢の話というより、この子に合う形を探した記録です。

中学へ——答えの出ない選択

中学をどこで過ごすか。支援学級か普通級か。この選択は、まだわが家でも答えが出ていません。迷いながら書いた記録たちです。

旅と、興味に乗っかること

息子と過ごしてきた時間で、いちばん肩の力が抜けているのが旅の記録かもしれません。息子の「好き」に、私が乗っかっていく時間です。

この子は、見通しがあれば動ける

「計画が苦手」と言われてきた息子が、見通しさえあれば自分から動く。そのことに気づいたのは、わりと最近のことでした。財布をさがした日の続きのように、「計画が苦手」なはずの息子が、自分でアラームをかけて2時に起きた日を書いています。

手放したもの、育ったもの

息子を見守るなかで、私自身が手放したものもありました。数字や結果で見ようとする気持ちを、少しずつ置いていけた話が「103回も跳べたじゃないか」——息子のその一言に、私が手放せずにいたものが見えたです。

おわりに

こうして並べてみると、息子が育ってきたというより、私が息子を通していろんな人とつながってきた時間だったな、と思います。加配の先生、相談支援専門員さん、放デイの先生、支援学級という居場所。一つずつ、点が増えていきました。

今、息子は中学の入口に立っています。この先のことは、まだ私にもわかりません。歩いた分だけ、この地図も描き足していくつもりです。

制度や手続きの流れから見たいときは、発達障害の子の就学と進路、全体の地図もあわせてどうぞ。


この記事について:この記事は、運営者(万樹)が発達障害のある子どもを育てるなかでの実体験と、自分なりに調べた内容をもとに書いています。制度の運用や支援の要否には地域差・個人差があります。具体的なご判断は、お住まいの自治体の窓口や専門機関にご確認ください。

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