今日、放デイから帰ってきた息子に、先生がこう言ったと教えてもらった。
「成長しましたね。嬉しかったです」
その言葉を聞いて、私は少し、言葉が出なかった。
嬉しかった。ただそれだけじゃなくて——何か、長い時間が一気に流れてきたような感覚があった。
久しぶりの先生が、息子を見て言った一言
今日の放デイには、久しぶりの先生が来ていた。
息子の内面をよく見てくれる先生だ。短い言葉の中に何が詰まっているか、息子が何かを言いたいのに言えていないとき、さりげなく引き出してくれる。そういう先生だと、以前から感じていた。
しばらく担当が変わっていたが、今日久しぶりに一緒に活動してくれたらしい。
その先生が、帰り際にこう言ってくれた。
「すごく成長しましたね。嬉しかったです」
私がいない場所での出来事だった。先生から聞いて、初めて知った。
それでいいと思っている。むしろ、それがいい。親が見ていない場所で息子が成長している——それは、息子が「外の世界」で自分を発揮できるようになってきたということだから。
ロボット活動中の息子——「話しながらできる?」「うん、できるよ」
今日の活動はロボット操作だったらしい。
息子はロボットを上手に操作していた。先生が驚くほど、だったと聞いた。
そのとき先生が聞いたそうだ。
「話しながらできる?」
少し前の息子なら、この問いかけにどう反応しただろう。作業に集中しているときに話しかけられると、手が止まった。どちらかに集中すると、もう一方がおろそかになることが多かった。
でも今日の息子は、答えた。
「うん、できるよ」
そしてそのまま、ロボットを操作しながら話し始めた。
これは「複数のことを同時にこなせる能力が上がった」という話ではない、と思っている。おそらく、その場が息子にとって安心できる場所になっていたから——場に慣れ、先生への信頼が積み上がって、「ここなら大丈夫」という感覚の中で、自然にできたことだと思う。
放課後等デイサービスがどういう場所かについては、こちらに詳しく書いています。
会話のテーマが広がっていた——鉄道から将来の仕事まで
「話しながらできるよ」と言った息子は、そのままいろんな話をしたらしい。
学校のこと。クラスのこと。列車のこと。旅のこと。
息子が好きなテーマが自然に出てきて、先生もそれに乗ってくれた。会話が続いた。
以前の息子は、話のテーマが限られていた。鉄道の話なら延々と話せる。でもそれ以外のテーマになると、急に静かになった。相手に合わせて話を広げることが難しかった。
今日は違ったらしい。鉄道から始まって、先生の問いかけに答えながら、学校の話、旅の話と広がっていった。
さらに、将来の仕事の話まで出たと聞いた。デザインに興味があること、どんな職業があるか——そういう話を先生と一緒に楽しんだようだ。
それは「先生との自然な会話」だった。将来設計の話でも、進路指導でもない。ただ、好きなことや気になることを、信頼できる大人と一緒に話した。それだけのこと。
でもそれが、息子にとってはとても大切な経験だったと思う。思春期の入口で「自分はどうしたいか」を言葉にしていくことについては、こちらにも書きました。
相手を気遣いながら話せていた、ということ
先生から聞いた話の中で、もう一つ印象に残ったことがある。
息子が、相手を気遣いながら話していた、ということだった。
話しながら先生の表情を確認していた。相手が興味を持っているかどうかを確かめながら話を続けていた。一方的に話し続けるのではなく、相手と一緒に会話を作っていた。
以前は、好きなテーマになると止まらなくなることがあった。相手がついてきているか関係なく、話し続けてしまう。それが息子の特性の一つだった。
今日はそうじゃなかったらしい。相手を見ながら話していた。
これも、能力が変わったというより——この先生との関係の中で、「ちゃんと聞いてもらえる」という安心感があったから、余裕を持って相手を見られたのだと思う。安心がある場所では、人は相手を見ることができる。
放デイという場所が、息子に積み重ねてくれたもの
息子が放デイに通い始めて、何年が経っただろう。
最初は、嫌がっていた。知らない場所、知らない人、知らないルール——それが息子には難しかった。
それでも通い続けた。少しずつ、その場所が「自分の場所」になっていった。先生たちが「この子のこと」を知ってくれるようになった。息子も、先生たちのことを知った。
今日の「話しながらできるよ」も、「相手を気遣いながら話せた」も——一日で手に入ったものじゃない。何百回も通った積み重ねの上にある。
放デイがすべての子どもに同じ結果をもたらすとは思っていない。合う場所・合わない場所がある。合う先生・合わない先生がある。息子にとって今の放デイが良かったのは、この子にこの場所が合っていたから、それだけだと思っている。
ただ、「安心できる場所が外にある」ということが、息子の育ちにとって大きかったことは確かだ。
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支援の成果は「突然見える」——そのとき親はどこにいるか
今日、私は放デイの現場にいなかった。
息子がロボットを操作している場面も、先生と話している場面も、見ていない。すべて、先生に聞いた話だ。
最初は、そのことが少し寂しかった。見たかった、という気持ちがあった。
でも今は、違う気持ちでいる。
私がいない場所で、息子は自分を発揮していた。見知らぬ人に、安心して話しかけていた。相手を気遣いながら言葉を選んでいた。
それは、「親の目がないところで育った何か」だと思う。
支援の成果は、突然見える。
昨日まで「まだかな」と思っていたことが、ある日誰かの口から「成長しましたね」という言葉として届く。それは本当に突然で、準備している間もなく来る。
今日がそういう日だった。
「成長しましたね。嬉しかったです」
先生のその言葉が、私にも届いた。今日、私がいなかった場所で起きたことが、こうして私まで届いた。
それだけで、十分だと思った。
息子が「中学は普通級に行く」と自分で決めた日のことも書いています。あの言葉も、突然来た。積み重ねの上に、ある日突然、形として現れた。そういうものなのかもしれない。
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このブログは、私自身の経験をもとに書いています。お子さんの状況や放デイとの相性によって、経験は一人ひとり違います。一つの記録として読んでいただけたら幸いです。


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