先日、ある動画を見ました。子どもの自己肯定感の育て方をテーマにしたもので、「危険な自己肯定感」と「求めるべき自己肯定感」という言葉が出てきました。人より優れていること、勝っていることを支えにする自信は、案外もろい。比べることや誇示することから少し離れたところにこそ、揺らぎにくい土台がある——だいたい、そんな話だったと思います。
専門的な内容なので、わが家にそっくり当てはまるとは思いません。それでも、見ているうちに、なぜか自分の胸がざわつきました。重なる部分があったのです。
私はずっと、息子の「外側」ではなく、「工程」ばかりを見てきたのかもしれない。そう思い当たったのでした。
小学校に上がった頃、私は「見張る親」だった
息子が小学校に入ったばかりの頃を、今でもよく覚えています。
クラスにうまく馴染めない。その不安が大きくて、私はとにかく学校へ足を運びました。今思えば、行きすぎていたのかもしれません。教室の様子が気になって、息子のやることひとつひとつ——支度の手順、提出物、できたこと、できなかったこと——を、いつも目で追っていました。
ただ、これを「失敗だった」と書くつもりはありません。あの頃の私には、ああするしかなかった。先回りして手順を整えてあげないと、息子は一日を越えられないように見えていたし、実際それで助かっていた場面もたくさんありました。困りごとの多い子の足場を、親が組む。それ自体は、間違いではなかったと思っています。
ただ——私は、いつまでもその足場を外せずにいました。
入園した頃から運動会の景色が少しずつ変わっていった、あの数年間のことを以前書きました(運動会の4年間——加配の先生が、常にそばにいなくてよくなるまで)。「そばにいなくては」という気持ちは、あの頃からずっと私の中にあったのだと思います。
「比べて落ち込む」息子と、私の中の引っかかり
息子はある時期から、人と自分を比べて落ち込むようになりました。
あの子が自分より上手だ、自分はできない——そういう言葉が、ぽろりと出る。勝った負けたという物差しが、いつのまにか息子の中にありました。
近くに、勝ち負けや「できる・できない」を強く向けてくる関わりがあったことも、影響していたのかもしれません(このあたりのことは発達障害の子の親が「祖父母」に疲弊するときに書きました)。子どもは、身近な大人の物差しを、知らないうちに自分のものにしてしまうのだなと感じます。
ただ、比べること自体は、思春期の入り口では自然なことでもあるそうです(発達障害の子どもの思春期の特徴)。問題は、比べてしまうことより、比べたあとの立ち直り方を、息子がまだ知らないことなのかもしれない。私はそう考えるようになりました。
そして、ふと思ったのです。工程ばかりを確認していた私の視線も、いつも「できた・できなかった」の上にあったな、と。どこに原因があるという話ではありません。ただ、私自身の視線の向きを、少し変えてみたくなったのでした。
小6の今、息子は自分から「外」へ向かい始めた
小学6年生になった息子は、少しずつ、けれど確かに、自分から「外」へ向かうようになりました。
この夏、6泊7日のキャンプに参加します。私が勧めたのではなく、息子のほうから「行きたい」と言い出しました。しかも、それで勢いづいたのか、「秋もまた行く」と言っています。親のいないところで、何日も過ごす。数年前の息子からは、想像もできないことでした。
念のために書いておくと、これは「外に出せば子どもは伸びる」という話ではないと思っています。集団がしんどくて、その場にいるだけで消耗してしまう子もたくさんいます。息子の場合は、安心して過ごせる場所で、ありのままを受け止めてもらう経験を少しずつ積めたから、ようやく外へ一歩を踏み出せた——そういう順番だったように感じます。
安心できる場所があったから挑戦できる、という感覚は、以前にも書きました(支援学級という居場所があったから、放送委員会に挑戦できた)。親のいない場所での居場所のことは、今もずっと考え続けています(発達障害の息子が中学に進む。放課後の居場所を、今から考えていること)。
親のいないところで頑張る息子を、見ていてくれる大人が外にいる。先生方や、放課後の場所のスタッフの方々。そう思えるようになったことが、私には大きかったのだと思います。
放課後等デイサービスで聞いた、「103回も跳べたじゃないか」
先日、放課後等デイサービスの先生から、こんな話を聞きました。
縄跳びをしていたお友達が、「103回しか跳べなかった」と悔しがっていたそうです。そのとき、息子がこう言ったというのです。
「103回も跳べたじゃないか!」
その話を聞いたとき、私はしばらく言葉が出ませんでした。
ずっと、できた・できなかったの物差しの中にいたはずの息子が、お友達の「できなかった」を、「こんなにできた」に裏返して、相手にかけてあげていた。誰かと比べるのでも、勝ち負けでもない言葉が、息子の口から自然に出ていた。
これで息子の自己肯定感が育った、と言い切るつもりはありません。子どものことは、そんなに簡単に結論づけられないと思っています。ただ——こういう言葉をかけられる子になっていたのだな、と感じました。
きっと、息子自身が、安心できる場所で「できたこと」を見てもらってきたからだと思います。デイの中で年下の子の面倒を見る役割をもらえたり、認めてもらえたりした経験が、あの一言につながったのではないか。私が動画を見て「求めるべき自己肯定感」という言葉を知ったまさにその日に、息子はもう、それを行動で見せていたのでした。
「結局、負けちゃった」——勝ち負けの先を、その日も一緒に見た
つい先日の朝のことです。息子が、テレビでサッカーの試合を見たいと言いました。ワールドカップの、日本とブラジルの試合。息子にとっては、人生で初めてのスポーツ観戦でした。
当日はテレビの前でタオルを高く掲げ、声を出して応援していました。その熱の入りように、私のほうが少し驚いたほどです。ただ、見ているうちに気づいたことがありました。息子の中では「得点する=勝つ」という理解だったようで、試合が終わると「結局、負けちゃった」と、勝ち負けの結果のほうへ気持ちが向いていったのです。
ここでも、勝った負けたの物差しが顔を出すのだな、と思いました。けれど、それを直そうとは思いませんでした。代わりに、結果のひとつ手前のことを、言葉にしてみたのです。
あんなに体の大きな、筋肉のすごい相手に、体を張ってボールを取り合っていたこと。自分よりずっと速い相手にも、負けない意気込みで抜いていこうとしていたこと。勝った負けたの前に、あの挑戦そのものが、もうすごいことなんだよ——そんなふうに伝えました。
言いながら、これは縄跳びの「103回も跳べたじゃないか」と、同じことだなと思いました。あのときは、息子がお友達にかけた言葉でした。今度は、私が息子にかける番だったのです。できた・できなかった、勝った・負けたの一歩手前にある「挑戦したこと」に目を向ける。息子がお友達に自然にできていたことを、私もようやく、息子に対してできるようになってきたのかもしれません。
結果は、すぐに変わるものではないのかもしれません。それでも、勝ち負けの先にあるものを、その日も二人で一緒に見られた気がしました。
私が手放したもの、息子が外で育てたもの
振り返ると、私が変えられたのは、たぶん視線の「向き」だけです。
工程を見張り、できた・できなかったを確認する向きから、息子が外で誰と関わり、何を感じているのかを見る向きへ。手順を整える足場を、少しずつ外していく方へ。
子どもの時代には、同年代の子ども同士でしか得られない刺激があるのだな、と、息子を見ていて改めて感じます。これも、すべての子に同じように当てはまる話ではないと思います。あくまで、わが家の息子の場合は、ということです。「外へ向かう」と自分で口にした日のこと(「普通級に行く」と息子が自分で決めた)から、彼は彼のペースで、外の世界と関わり始めていたのだと思います。
正直に言えば、今も不安はあります。6泊7日も離れて大丈夫だろうか、と、出発前の私はきっとそわそわするでしょう。手を離すのは、いまだにこわい。
それでも、見張る手を少しずつ開く練習を、私も息子と並んで続けているところです。
※この記事は、スタンフォード式の自己肯定感をテーマにした動画「【自己肯定感の育て方】スタンフォード式 親子でできるメンタルトレーニング」を見たことがきっかけで書きました。
この記事について:この記事は、運営者(万樹)が発達障害のある子どもを育てるなかでの実体験と、自分なりに調べた内容をもとに書いています。制度の運用や支援の要否には地域差・個人差があります。具体的なご判断は、お住まいの自治体の窓口や専門機関にご確認ください。


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