「相談支援専門員」という言葉を、どこかで聞いたことがある方はどのくらいいるでしょうか。
私は、出会うその日まで知りませんでした。
どんな人なのか。どこにいるのか。何をしてもらえるのか。
何も知らなかった私がその存在を知ったのは、通っていた放課後等デイサービスの責任者が、ある日教えてくれたからです。
「うちにも、そういう相談ができる方がいますよ」——その一言が、4年間の不登校生活を伴走してくれる出会いにつながりました。
これは、偶然の話です。でも、偶然だったからこそ、今ここに書いています。
年長の夏、一言で探し始めた
年長の夏が終わる頃、保育園の先生からふとこんな言葉をもらいました。
「小学校は保育園より通う時間が短いから、子どもがしっかり遊べる場所を探しておいたほうがいいですよ。」
その一言で、探し始めました。
調べてみると、放課後等デイサービスほどではないにしても、児童発達支援も空きがないのが普通だとわかりました。いくつか問い合わせて、断られて——そんなことを繰り返していた頃、学区内の近所にたまたま空きがある事業所を見つけました。
しかも、同じ保育園に通う子がすでに使っていました。
午前中に児童発達支援で療育を受けて、午後は保育園に送り届けてもらう。そのコースが使えたのは、同じ保育園の子がいてくれたからこそでした。体験を経て、契約まで1ヶ月弱。りんご狩りの季節が来る頃には、息子はその事業所に通い始めていました。
「たまたま空きがあった」「たまたま知っている子がいた」——偶然が重なって、たどり着いた場所でした。
放課後等デイサービスの選び方・確認すべきポイントについては、こちらの記事にまとめています。
小1、放課後等デイに移行した。でも学校は合わなかった
翌年、息子は支援学級に入学しました。
児童発達支援でお世話になっていた事業所は、放課後等デイサービスも運営していました。同じ場所に、顔見知りのスタッフがいる環境のまま、今度は放課後等デイとして通い始めることができました。
ここは良かった、と今でも思います。
ただ——学校は、そうではありませんでした。
小1から4年間、息子は不登校でした。
午前中だけ行ける日と、それすら行けない日が交互に来る。給食は食べられない。登校班で一緒に歩いていけるのは、4月の最初の数週間だけ。
それが、4年間続きました。
放課後等デイには行けるのに、学校には行けない。その差が何なのか、当時の私には正直よくわかりませんでした。「環境が合わないんだろう」という漠然とした感覚だけがあって、でもどこに相談すればいいかもわからなくて。
放デイの責任者に話を聞いてもらった日
学校での様子が落ち着かない日が続いていたある日、放デイの責任者の方に話しかけてもらいました。
「最近、お子さんの様子が気になっています。何かお困りのことはありますか」
その言葉に、気が緩んだのだと思います。学校では落ち着かない、給食も食べられない、家に帰るとどっと疲れが出る——思っていたことを、そのままお話しました。
責任者の方は、ただ聞いてくれるだけじゃありませんでした。
児童発達支援の頃から息子を見ていた方です。「あの頃はこういう様子だったのに、最近こういう変化がある」という文脈を持ったまま、話を聞いてくれていた。
一方的に困りごとを打ち明けるのではなく、息子のことを知っている人に話を聞いてもらっている、という感覚がありました。
「うちにも相談員がいます」——知らなかった制度を、知っている人が教えてくれた
しばらく話を聞いてもらった後、責任者の方がこう言いました。
「実は、うちの事業所は障害児相談支援もやっているんです。相談支援専門員という方がいて、児童発達支援のときから息子さんのことも知っています。一度、話してみませんか」
障害児相談支援。相談支援専門員。
初めて聞く言葉でした。
どんな人なのか、何をしてもらえるのか——もっと聞けばよかったのでしょうが、そのとき私の頭にあったのは「息子のことを知っている人が、その人を知っている」という、ただそれだけでした。
「お願いします」と、すぐ答えました。
相談支援専門員は、障害のある子どもが福祉サービスを利用するための計画を立てる専門職です。受給者証の申請・更新にも関わりますが、それだけではありません。関係する機関と連絡を取り、必要な場面では間に立ってくれることもあります。
ただ、すべての事業所に相談支援専門員がいるわけではありません。同じ法人が放課後等デイと障害児相談支援事業の両方を運営するケースはありますが、実際には少ないのが現状です。そのことを、私はずっと後になって知りました。
相談支援専門員・SSW・発達相談センターの役割の違いについては、こちらの記事で整理しています。
息子のことを、すでに知っていた相談員
初めて面談したその日、私はほとんど「一から説明する」という感覚がありませんでした。
相談支援専門員の方は、児童発達支援の活動に何度か来てくれていた方で、息子の様子を実際に見ていてくれていました。どんなことが得意で、どんな場面で崩れやすいか。どういう声かけに反応するか。
親の言葉だけで伝えなければならない初対面の相談とは、全然違いました。
「お母さんが心配されているのは、こういうことですよね」
そう言ってもらえたとき、ああ、伝わっている、と思いました。私が言葉にできていない部分まで、すでに知っていてくれている。そこから始まる相談は、ずいぶん楽でした。
今なら「臨床心理士が在籍している事業所は珍しい」「障害児相談支援事業まで持っている事業所はもっと少ない」とわかります。でも当時の私には、何も見えていませんでした。ただ通っていた場所が、そういう場所だった。それだけです。
小1〜4、不登校の4年間を一緒に歩いてもらった
その後、相談支援専門員の方には、長い間お世話になりました。
小1から4年間。学校との関係が上手くいかない時期に、伴走してもらいました。定期的に話を聞いてもらいながら、少しずつ整理していきました。その関わりが積み重なって、小4の頃、支援学級への転籍という方向性が見えてきました。
小5、息子は初めて1年間学校に通い続けることができました。給食も、初めて食べられた年でした。
支援学級への転籍については、こちらの記事に書いています。
放課後等デイ選びは「運」かもしれない。でも知っておいてほしいこと
この記事を書きながら、何度も思います。
あの事業所に通っていなかったら、相談支援専門員という存在を知らないまま、もっと長い時間をひとりで抱えていたかもしれない、と。
臨床心理士が在籍していたこと。障害児相談支援事業も運営していたこと。同じ保育園の子がいたから通えたこと。どれも、調べて選んだわけではありませんでした。偶然が重なって、たどり着いた場所でした。
正直に言えば、運でした。
でも——事業所を選ぶとき、提供しているサービスの一覧を確認することはできます。「障害児相談支援事業もやっているか」を見ることはできます。全ての事業所に相談支援専門員がいるわけではありません。でも、そういう事業所があること自体を知っていれば、探すための入口になります。
相談支援専門員という存在を、私はその日まで知りませんでした。
知らなくても、生きていけます。
でも、知っていたら——もう少し早く、誰かに頼れたかもしれません。
この記事を書いている今も、その相談支援専門員の先生にはお世話になっています。
先日の面談で、こんなことを言ってもらいました。「最近は大人の方も見るようになりました。今一番大きい子が高校生で、これからも一緒に考えていきますよ」と。
息子は、きっとこれからもお世話になり続けるんだと思います。
こんな先生に出会えたことは、めったにないことだと思っています。保育園の先生の一言から始まって、偶然の空き、偶然の知り合い、偶然の事業所——全部が重なった先に、この出会いがありました。
偶然の積み重なりに、改めて感謝しています。


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