息子の保育園の運動会を、私は4回見ました。
会場は、年によって違いました。コロナの前は、近くの小学校の校庭を借りて行われ、雨の日はその体育館でした。最後の年長の年は、保育園の園庭で、学年ごとに分かれて。場所は変わっても、毎年そこで息子を見ていたのは、私でした。だからこそ、わかったことがあります。1年ごとの小さな変化が、4年分つながると、はっきりとした一本の線になる——ということです。
加配をお願いして入園した話や、支えてくれた先生たちのことは、加配保育で息子が変わるまでの記録に書きました。この記事では、運動会という一点だけを、4年間定点観測した記録を残しておきたいと思います。
1年目——ほとんど、見ているだけだった
2歳児クラスの運動会。息子は、ほとんど競技に入れませんでした。
私のそばを離れられず、みんなが競技をしている輪を、遠くから眺めているような状態でした。周りの子が並んだり走ったりしているのを、息子は私の隣で見ていました。
正直に言えば、少し胸が苦しかったです。でも、「今年はここからなんだ」と、自分に言い聞かせました。
2年目——泣きながら、それでも参加した
年少の運動会。この年、息子は私から離れました。
離れて、先生に抱っこされて、泣きながら——それでも、競技の輪の中にいました。
去年は私のそばから動けなかった子が、泣きながらでも自分のクラスの場所にいる。抱っこという形でも、集団の中に入っている。私にとっては、それだけで大きな一歩でした。
3年目——一人で、クラスの子と一緒に
年中の運動会。気づけば息子は、抱っこを必要としていませんでした。
一人で立って、クラスの子たちと一緒に競技に参加していました。誰かに支えられてではなく、自分の足で、自分の場所に立っている。
写真を見返すと、この年の息子は、表情が違いました。
4年目——全部、やりきった
年長の運動会は、コロナの年でした。
先生方が知恵を絞って、学年を入れ替える特別な運営にしてくれました。制約の多い中での運動会です。そんな年に、息子は——自分の演技も、集団の踊りも、リレーも、全部やりきりました。
1年目に競技の輪を遠くから眺めていた子が、4年目にはリレーで走っている。毎年その姿を見てきたから、その距離が、はっきりわかりました。涙が出ました。
気づけば、加配の先生が常にそばにいなくてよくなっていた
この4年間を振り返っていて、ふと気づいたことがあります。
息子に加配の先生が来てくれたのは、年少のときでした。そしてその先生は、翌年の年中では、息子のクラスの担任になりました。担任は一人。年長も、担任の先生は一人でした。
いつのまにか、加配の先生が常にそばにいなくても、園での一日が回るようになっていたのです。
それは、息子にできることが増えたから、というより——困ったときに、息子のほうから周りに助けを求められるようになったから、だと思います。先生に「手伝って」と言える。友達に頼れる。だれかが息子を見ていてくれたのは変わらないけれど、息子のほうから、その手を取りにいけるようになっていました。
加配は、ずっと必要なものだと思っていました。でも、常にそばで支えてもらわなくても大丈夫な程度にまで、息子は自分の力で人とつながれるようになっていたのです。
子どもの伸びしろは、わからない
1年目、競技の輪から遠く離れて、私の隣に立っていた息子を思い出すたびに、私は思います。
あのとき、「この子はこういう子なんだ」と決めつけなくて、よかった。
子どもの伸びしろは、わからないものです。1年では見えなくても、4年という時間で見れば、子どもは確かに動いていく。毎年、欠かさずその姿を見続けたから、私はそれを知ることができました。
もし今、お子さんの「1年目」を、苦しい気持ちで見ている方がいたら。来年の景色は、今とは少し違っているかもしれません。私は、そう思っています。
この記事について:この記事は、運営者(万樹)が発達障害のある子どもを育てるなかでの実体験と、自分なりに調べた内容をもとに書いています。制度の運用や支援の要否には地域差・個人差があります。具体的なご判断は、お住まいの自治体の窓口や専門機関にご確認ください。


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