発達障害の子の親が「祖父母」に疲弊するとき——善意じゃない干渉も、確かにある

以前、祖父母の善意の干渉について書きました。

今日は、その先の話をします。

善意では説明がつかない干渉も、確かにある。その話です。

善意の干渉と、意図的な妨害は別物だ

前の記事では、善意の空回りについて書きました。かわいがっているつもりで、結果として子どもの邪魔になってしまう——あの話です。

でも、干渉の矛先は子どもだけではありません。同じ家に住むすべての人間が、対象になりえます。

「外出阻止」が繰り返されるとき、それは偶然ではない

私の母には、パッチワーク教室という趣味があります。自分のための時間として長年続けてきたものです。

あるとき気づきました。母が出かけようとする日の朝に、必ず何かが起きる。

何かが起きて、母が体調を崩す。出かけるタイミングを逃す。教室をキャンセルする。

一度や二度なら偶然です。でも同じパターンが繰り返されると、偶然とは思えなくなります。

母が体調を崩す。母が出かけられない。その繰り返し

このパターンを何度も見ている中で、私の気持ちは変わっていきました。

それまでは、怒りがありました。両親に期待していたから。「変わってほしい」という気持ちが底にあったから、怒れた。

でも繰り返しを見続けているうちに、その期待が終わっていきました。「またか」という、静かな確認だけが残りました。

自分を被害者に仕立てた、ある朝のこと

息子を見送った直後に始まった騒動

ある朝のことです。

息子を学校に送り出した直後でした。父が騒ぎ始めました。

「朝食に異物が混入されていた」「殺される」「警察に訴える」

「殺される」「警察に訴える」——その日、母はパッチワーク教室の日だった

私は「たかが紙の混入で何を騒いでいるのか」と思っていたら、父と話していた母が私に聞いてきました。

「数日前にカビ取り剤に使った紙がなくなった。それを入れられたと言っている。あなた、そんなことしたの?」

私はカビ取り剤の使用なんか知りません。

でも、その言葉にピンときました。

あ、私に殺されかけたと周りに触れ回りたいのだと。

数年前、私から息子へのセクハラによる冤罪をでっち上げようとした。当時、警察と関係機関が動き、事実無根と判明している。次はこれで警察沙汰にしたいのか——それほどまでに、息子に、母に、執着しているのだと改めて思いました。

警察が来ることはありませんでした。

その日は、母のパッチワーク教室の日でした。母はその日、出かけました。

巻き込める人がいなくなったとき、何が起きるか

以前の父には「素材」がありました。息子、そして母。騒ぎを起こし、周りを巻き込み、その中心にいる。そのやり方で、家の中での存在感を保っていたように見えていました。

でも今、その「素材」が動かなくなってきていた。

そうしたら次に起きたのが、あの朝の騒動でした。

自分自身を被害者にする。巻き込む相手がいなくなったとき、矛先が自分に向いた——私にはそう見えました。

私がこの家を出られない本当の理由

「家にいたい」のではなく「ここにいなければならない」

「大変なら距離を置けばいい」「仕事を増やせばいい」と言われることがあります。

私がこの家を離れられないのは、外が嫌いだからではありません。

息子が、この家にいるからです。

息子に悪影響が及ぶ可能性を少しでも減らしたい。そのために、私はここにいます。「子育てのために家にいる」とはまた違う話です。守るために、物理的にここにいなければならない。そういう構造の中にいます。

防波堤というポジションが、時間と収入と体力を削っていく

防波堤は、波を受け続けます。

折れないように立っていても、消耗しないわけではない。仕事の時間をもっと増やしたい。でも家を空ける時間を増やせない。その「空けられない」理由が外から見えないまま、「なぜもっと動かないのか」という目線だけが届いてくることがあります。

「仕事を増やせない」は努力不足ではない

波を受けながら、息子を守りながら、崩れないように立ちながら——それで全力を使っています。

その上にどれだけの余力があるか。防波堤の外から見ている人には、見えません。

これは甘えではない。構造の問題だと、私は思っています。

「両親との関係なんて、蓋を開ければどこもこんなもの」

怒りより「呆れ」が上回る日が来た

「両親との関係なんて、蓋を開ければどこもこんなもの」——この言葉が自分の口から出た日、少し驚きました。

あの朝の騒動を見ながら感じていたのは、怒りではありませんでした。「また始まった」という静かな確認と、「今日も母が無事に出かけられるといい」という、それだけのことでした。

期待が終わった後に残るものが、呆れなのだと思います。

孤立していたのは、自分のせいではなかった

各家庭に、それぞれの事情があります。その中でそれぞれの役割がある。

でも、家族なのに——チームメイトなのに——陥れようとする人もいる。そんな人が身近にいたら、孤独を感じるのは当たり前のことだと思います。

どうか、防御する術が、私にも、読者の方にも見つかりますように。


関連記事:
「かわいがっているだけなのに、なぜこんなにつらいのか——発達障害の子と同居祖父母の話」
善意の干渉のパターンについては、こちらの記事で書いています

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