外では頑張って、家では荒れる——「建前は、社会で頑張ろうとしている証」と教わった日

学校の連絡帳には、「頑張っています」と書いてある。放課後等デイサービスの先生からは、「年下の子の面倒を見てくれるんですよ」と聞く。

なのに家では、宿題を前にすると気持ちが荒れて、きつい言葉が飛んでくる——。

小6の息子と暮らしながら、私はこの「外と家のギャップ」に、しばらく戸惑っていました。今日は、放デイの心理士さんに教わった一つの見方で、そのギャップが少し違って見えるようになった話を書きたいと思います。

外では「頑張ってますよ」、家では別人

息子は今、小学6年生。思春期の入口にいます。

去年あたりから、家でのイライラが目に見えて増えました。特に宿題の前です。机に向かうまでに気持ちが荒れて、物や言葉に出ることもあります。(部屋のドアが閉まるようになった頃のことは、こちらの記事に書きました。)

一方で、外での息子は、まるで別人のようです。学校からは「頑張っています」。放デイでは、年下の子が困っていると、なだめる側に回っていると聞きます(放デイでの息子の変化は、以前も書いたことがあります)。

うれしい報告のはずでした。でも、聞くたびに、少しだけ複雑な気持ちになっている自分がいました。外でそんなに頑張れるなら、家のこの荒れ方は何なのだろう。どうして、私の前でだけ——と。

放デイの心理士さんに、聞いてみた

その気持ちがほどけるきっかけは、放デイの定期面談でした。

家での様子を正直に話したとき、心理士さんは、こう言いました。

「葛藤しているのは、成長なんです。外で見せている建前は、社会の中で頑張ろうとしている証。家で出てくる本音は、受け止めてあげてください」

本音と、建前。その二つが息子の中に並んで存在するようになったこと自体が、思春期の入口に立った証拠なのだ——そういうお話でした。(思春期に「本音と建前」が生まれてくることについては、別の記事で整理しています。)

「外面がいい」ではなく、「外で闘っている」だった

その日から、外と家のギャップが、少し違って見えるようになりました。

外でちゃんとしている姿は、外の世界とうまくやっていこうと、本人が持っている力を総動員している姿。そして家で崩れるのは、外で使い切った力の後始末を、いちばん安心できる場所でしている姿。あの荒れ方は、外で頑張っていることと引き換えに出てくるもので、二つで一組だったのだと思います。

家でだけ荒れることを、「家でだけ本音を出せている」と読む。同じ場面でも、読み方ひとつで、ずいぶん景色が変わりました。正直、力が抜けました。荒れている息子を前にした夜の重さが、少しだけ軽くなったのです。

「受け止める」は、何でも許すことではなくて

とはいえ、「本音を受け止める」は、言うほど簡単ではありません。

私なりの今のところのやり方は、「気持ちは受ける。危ない行動は止める」です。きつい言葉が出たら、まず「そう思うくらい、嫌なんだね」と一度受ける。でも、物に当たって危ないときは、そこは普通に止めます。

それでも、しんどい日はあります。本音をぶつけられる側は、疲れます。受け止めきれずに、私のほうが言い返してしまう日もあります。そういう日があっていい、ということにしています。

季節が進んで、家で荒れる場面は、少しずつ減ってきました。ただ、それが私の受け止め方のおかげなのかは、正直わかりません。本人の中で何かが育っていく途中の、一つの区間だったのかもしれません。

おわりに

外では頑張って、家では荒れる。少し前の私は、「どちらが本当の息子なのだろう」と考えていました。

今は、どちらも本当なのだと思っています。外で頑張る力と、崩れて戻ってこられる場所。その両方があって、この子の思春期は進んでいくのだろう、と。

いちばんの変化は、連絡帳の「頑張っています」を、前より素直に喜べるようになったことでした。


この記事について:この記事は、運営者(万樹)が発達障害のある子どもを育てるなかでの実体験と、自分なりに調べた内容をもとに書いています。制度の運用や支援の要否には地域差・個人差があります。具体的なご判断は、お住まいの自治体の窓口や専門機関にご確認ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました