子宮が10cmに腫れ上がるまで、私は何もしなかった。
今、私は41歳。子宮内膜症と腺筋症を併発し、ピルによる治療を始めて10ヶ月が経つ。月経痛は、今では1回の生理で鎮痛剤を2回ほど飲めば凌げるようになった。治療前は何度飲んだかも覚えていなかったことを思えば、ずいぶん変わったと思う。出血量も驚くほど減った。子宮の大きさも、10cmから5〜6cmにまで落ち着いた。
でも、この「今」に至るまでの時間を思うと、胸が痛くなる。気づけなかったのではない。気づいていた。ただ、動かなかった。
20代の私は、健康について考えたことがなかった
29歳で息子を産んだ。妊婦健診のたびに「貧血気味ですね」と言われていたが、「妊娠中はそういうもの」だと思っていた。産後は育児に追われ、自分の体のことなど後回しになった。
20代のうちは、体の声を無視しても、なんとかなっていた。それが「健康」だと思っていた。
夜用ナプキンが「普通」になった日
変化に気づいたのは、32歳頃だったと思う。
生理の量が増えていた。夜用ナプキンやパンツタイプを使わないと、外出が不安になった。でも「量が多いのは体質だ」と思っていた。周りに聞いても「私もそうよ」という声が返ってきた。
月経過多のサインを知っていますか?
以下のうち一つでも当てはまるなら、月経過多の可能性があります。
- ナプキンを1〜2時間ごとに交換しなければならない
- レバーのような塊(凝血塊)が出る
- 生理が7日以上続く
当時の私は、複数に該当していた。それでも「体質」と片づけて、婦人科に行こうとは思わなかった。
月経過多を放置するとどうなるか——私はその答えを、10年かけて体で知ることになった。
健康診断に毎年「貧血」と書かれていた
32歳で再就職し、毎年健康診断を受けるようになった。
結果用紙には、毎年のように「貧血」の文字があった。「要再検査」の案内も届いた。それでも私は動かなかった。
理由はひとつだ。「年のせいだ」と思っていた。
40代が近づくにつれて体は変わる。疲れやすくなる。血の巡りも悪くなる。それが「当たり前の変化」だと信じていた。貧血も、更年期への入り口なのだろうと。だから、放置した。
「婦人科に行った」のに、気づかなかった
40歳頃、さすがに気になって婦人科に行った。
でも——正確に言えば、「婦人科のクリニックに行った」だけだった。
看護師さんに症状を話すと、「更年期が近づくと生理が不安定になることがありますよ」と言われた。その言葉で、安心してしまった。「やっぱり年のせいか」と思って、帰った。
ここで一つ、後から知ったことを書いておきたい。
診断を受けてから調べたのだが、更年期の月経変化は人それぞれで、量が減る方向に変わることが多いとされているが、増える場合もあるらしい。いずれにしても、量が顕著に増える・痛みが強くなる場合は、更年期だけが原因とは言えず、子宮内膜症や腺筋症などの可能性を検査で除外することが大切だという。
私はあの日、看護師さんの言葉を根拠もなく信じた。「更年期だから」と自分でも思い込んでいた。きちんと医師に診てもらうことを、もっと早くすべきだった。
なぜ、受診しなかったのか
今になって考えると、受診しなかった理由はいくつもある。
- 忙しかった。発達障害のある息子の療育や学校のことで、頭がいっぱいだった
- 怖かった。「何か見つかったら」という恐怖があった
- 「たいしたことない」と思い込んでいた。痛みは市販の鎮痛剤で抑えられていたから
- お金と時間がかかると思っていた
でも正直に言えば、一番大きかった理由は——自分を後回しにすることに、慣れすぎていたことだと思う。
子どもの病院、子どもの療育、子どもの学校。自分の番は、いつも最後だった。
精密検査で見えたもの
それから1年後、今度は精密検査を受けた。
結果を聞いたとき、医師が言った。「子宮が10cmになっています。内膜症と腺筋症の併発です。」
10cm。赤ちゃんの頭ほどの大きさだ。
月経過多の原因も、貧血の原因も、すべてここにあった。数年前から体が出し続けていたサインを、私はすべて「年のせい」「体質」「そういうもの」と処理してきた。
鉄剤の服用を始め、検査結果をもとに治療方針が決まった。低用量ピルによるホルモン療法だ。飲み始めて数ヶ月で、貧血の数値は正常に戻った。出血量も、痛みも、目に見えて改善した。
治療を始めて10ヶ月が経った今、子宮は5〜6cmまで落ち着いた。医師には「腫れていた時期が長かったので、これ以上は小さくならないかもしれない」と言われている。
後悔はある。でも、後悔しているだけでは前に進めない。
健康は、この子への責任だ
「もっと早く動けばよかった」と思っている。
健康でなければ、子どものそばにいられない。受診に付き添えない。先生と話し合えない。子どもの心配事を解決するには、最後までやりきれる体が要る。
特別支援コーディネーターの先生に言われた言葉がある。
「母親がいなくなったら、誰かがやってくれると思うな。」
私は母親として、この言葉を受け取った。でも、これは母親だけに向けた言葉だとは思っていない。
父親も、祖父母も、この子に伴走してくれるすべての人が、最後まで動ける体でいることが必要だ。誰かが倒れたとき、その空白を埋めることがどれほど難しいか——発達障害の子を育てながら、そのことを何度も考えてきた。
だから、自分への戒めとして、ここに書いておく。
健康は、この子への責任だ。
免責事項
本記事は著者の個人的な体験をもとにした情報提供を目的としており、医療的な診断・治療を代替するものではありません。症状が気になる方は、必ず婦人科専門医にご相談ください。
ピルを飲み続けた2年間の経過観察については、こちらもご覧ください。
→ 子宮腺筋症とピル、2年間飲み続けてわかったこと——正常には戻らなくても、これが今の「いい状態」だと言われた話


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