子どもの特性に気づいた頃から、ずっと感じていたことがある。
「話しても、伝わらない」
夫には伝わらなかった。両親にも。先生にも。相談窓口の人にも。誰かに話すたびに、じわじわと孤独が深くなっていく感覚があった。
これは気のせいじゃなかった、と今は思っている。
「理解してもらえない」は、感覚の問題ではなく、構造の問題だった。
発達障害育児の孤立は、家と学校の両側から来る
「理解してもらえない」の構造を分けて考える
発達障害の子を育てていると、二つの場所で同時に孤立することがある。
家庭の中と、学校・相談機関の中だ。
この二つは性質が違う。家庭での孤立は「悪意のない無理解」から来ることが多い。学校や支援の場での孤立は、「助けを求めた先に傷つけられる」という形を取ることがある。
どちらも、外から見えない。「孤立している」と言っても、「大げさじゃないの」で終わる。そのもどかしさを、この記事に書いておきたいと思う。
一人で抱えてきたのは、あなたが弱いからじゃない
最初に言っておく。
孤立してきたのは、あなたが頼り下手だからでも、コミュニケーションが苦手だからでもない。
構造がそうなっているから、孤立するのだ。この記事を読んで、「そうか、私だけじゃなかったんだ」と思ってもらえたら、それだけで十分だと思って書いている。
家庭の中の孤立——家族が「敵」ではないのに、味方にもなれない
「そこにいない」という静かな孤独
私は子どもが幼い頃から別居している。だから最初から、育児は一人でやるしかなかった。
「夫がいれば助かるのに」と思ったことは、正直あまりない。それより、「誰かそばにいてほしい」という漠然とした気持ちのほうが強かった。子どもの問題行動を受け止めながら、一人で次の手を考え続ける夜が、何年も続いた。
別居でなくても、「夫はいるが育児にノータッチ」という状況は珍しくない。「物理的にいる」と「精神的に一緒にいる」は、全然違う。そしてその違いは、当事者にしかわからない。
祖父母の善意が追いつめるとき
家庭の中でもう一つ大きいのが、祖父母との関係だ。
悪意がないのはわかっている。かわいいから、関わりたいのもわかる。でも、特性を持つ子の育て方を知らないまま関わられると、積み重なるうちに親は消耗していく。
この点については、以前書いた記事に詳しく書いているので、よければ読んでみてほしい。
「かわいがっているだけ」なのに、なぜこんなにつらいのか——発達障害の子と同居祖父母の話
児相の面談で言われた「お母さんがやってきたんじゃないですか」という言葉
孤立の話ばかり続けてきたけれど、一つだけ転換点がある。
ある時期、児相に関わることになった。担当の方との面談で、こんな言葉をもらった。
「ほとんど、お母さんがやってきたんじゃないですか」
何でもない一言かもしれない。でも、私にとっては違った。
「母親のせいだ」という文脈で物事を見られることの方が多かった。それなのに、「あなたがやってきた」と言ってもらえた。初めて、誰かにちゃんと見てもらえたと感じた瞬間だった。
孤立の中にも、ふとした一言が支えになることがある。
学校の中の孤立——助けを求めた先が、傷をつけた
スクールカウンセラーに「母親の愛情が足りない」と言われた日
学校に相談すれば助けてもらえると、最初は思っていた。
子どもが荒れていた時期、校長に勧められてスクールカウンセラーとの面談に行った。ベテランの先生だった。でも、その場で言われた言葉は今も忘れられない。
「母親の愛情が足りないのでは」
あの瞬間のことを、うまく説明できない。怒りより先に、「やっぱりそういうことになるのか」という疲弊感があった。相談しに行って、傷つけられて帰ってきた。
誤解しないでほしいのは、スクールカウンセラーが全員こういう方だということではない。その後、別の機関で丁寧に話を聞いてくれる支援者にも出会えた。ただ、あの時の私には、「合う人を探す余裕」なんてなかった。
余裕があれば、別の相談先を探せる。でも追い詰められている時ほど、余裕がない。その構造が、孤立をさらに深くする。
担任が動いてくれなかった、あの時期のこと
別の時期には、担任の先生に問題行動を繰り返し伝えても、動いてもらえないことがあった。
後から知ったことだが、主任の先生は当時、ご家族の介護で手一杯の状態だったらしい。先生にも事情があった。でも子どもを抱えながら、毎日「今日こそ動いてもらえるか」と学校に連絡し続けた時間は、やはり孤独だった。
制度と人の限界の中で、親が取りこぼされることがある。それを言いたかった。
私の知り合いの話
私の知り合いに、同じような特性を持つ子を育てている人がいる。
ある日、その子が満点に近い点数のテストを持って帰ってきた。知り合いは嗤いながら言った。「別に大したことじゃないよね」
子どもを傷つけたくて言ったわけではないと思う。ただ、その言葉が出てしまった。
善意を長年押しつけられ続けると、人は摩耗していく。近くに住む祖父母が、頼んでいないのに関わり続けてきた。年齢が上がっても未だに一緒にお風呂に入る。中学から通い始めた塾に、わざわざついていく。「もう大丈夫」と伝えても止まらない。悪意がないから、止まらない。
その積み重ねが、何年もかけて人を削っていく。
削られた先に残るのは、「本来大切にしたい人を大切にできない自分」だ。子どもの高得点を、素直に喜べない自分。それは、彼女が長年削られてきた結果だと思う。
その話を聞きながら、昔の自分と重なる部分がいくつもあった。状況は違う。でも「誰にもわかってもらえない」という感覚は同じだった。
孤立はあなたのせいじゃない——構造の問題だと気づいた
SOSが「愚痴」としか受け取られない仕組み
発達障害育児の孤立に、もう一つ厄介なことがある。
SOSを出しても、「愚痴を言っている」としか受け取られないことが多いのだ。
「大変ね」「でもあなたならできる」「みんな同じだよ」——そう返されると、次から話さなくなる。話さなくなると、もっと孤立する。その繰り返しだ。
「気のせいじゃないか」と自分を疑う前に、この構造のせいだと知ってほしい。あなたのSOSは、ちゃんとSOSだった。受け取る側の器が、合っていなかっただけだ。
「一人でやってきた」は、本当のことだった
振り返ると、本当に一人でやってきたと思う。
誰かに頼りたかった。でも頼れる場所が限られていた。相談窓口も、学校も、家族も——どこかでひとつずつ、期待を削られてきた。
それでも続けてこられたのは、子どもの未来を見ていたからだと思う。孤立の中にいながら、それでも次の手を考え続けてきた。
それでも、「私だけじゃなかった」とわかった日
孤立しているのはあなたのせいではない。
制度が整っていないから。周囲の理解が追いついていないから。発達障害育児の「大変さ」が、外から見えにくいから。そういう構造の中で、あなたは一人で抱えてきた。
知り合いの話を聞いた日、私は「私だけじゃなかった」と思った。状況は違う。でも同じ構造の中で、同じように削られている人がいた。
もしこの記事を読んでいるあなたも、「誰にもわかってもらえない」と感じているなら——その感覚は正確だと思う。気のせいじゃない。ただ、あなたのまわりに「わかる器を持った人」が少なかっただけだ。


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