転籍の経験がある方に、一つ聞いてみたいことがあります。
あの選択は、正しかったと思いますか?
私はまだ、はっきりとは答えられていません。
息子は小学校の在籍中に、2回転籍しています。
支援学級から普通学級へ。そして普通学級から、支援学級へ。
「戻る選択」をした経験談は、あまり見当たりませんでした。
だから、書いておこうと思います。
(関連:就学相談で初めて知ったこと——特別支援学校・支援学級・普通級、どう選んだか)
小2で普通級に移った。確かな手応えがあった
小1のこと
小学校入学と同時に、息子は支援学級に籍を置きました。
就学相談でも支援学級が適切と判断されました。その選択に迷いはありませんでした。
ただ、小1の1年間はつらかったです。
支援学級は異年齢の混合クラスで、4年生の上級生に目をつけられました。
馬乗りにされる、顔を殴られる。そういうことが続きました。
担任も主任も、動いてくれませんでした。
主任の先生には「今は親の介護があるから」と言われました。
私はその言葉を聞いて、何も言えませんでした。
普通級へ。入学式でも、息子の方が落ち着いていた
小2の春、普通学級へ転籍しました。
新学期のざわつきの中で、息子のほうが落ち着いていました。
あの子は、周囲が静かであれば、落ち着いていられる子だったんです。
「この子、できる。」
あのときの手応えは、本物だと思っていました。
夏休み明け、崩れ始めた
担任の先生がいなくなった
2学期が始まって間もなく、担任の先生がコロナで来られなくなりました。
代わりの先生が入りましたが、クラスが荒れていきました。
引っ張られるように、息子の落ち着きも消えていきました。
いじめも再発しました。
物をなくされる。息子が落とし物を拾って渡すと、「あいつが盗んだ」と大声で言われる。
1学期に確かにあった手応えが、するするとほどけていくようでした。
同じ時期に、それまで通っていた放課後等デイサービスに「卒業」を告げられました。
「支援学校・支援学級の子のサポートに注力するため」とのことでした。
息子にはスイミングとサッカーを始めさせました。
何かにつながっていてほしかったんだと思います。
小2の間は、続けることができました。
スクールカウンセラーに言われたこと
2学期の終わり頃、校長先生の勧めでスクールカウンセラーの先生に相談しました。
話を聞いてもらえると思っていました。
けれど、その先生が最初におっしゃったのは、「母親の愛情が足りない」ということでした。
ベテランの先生でした。
私はその言葉に、何も言い返せませんでした。
ただ、それは違う、と心の中だけで思いました。
知的障害を疑い始めた。でも誰も教えてくれなかった
小3になる頃には、授業にまったくついていけていませんでした。
知的障害があるんじゃないかと、疑い始めました。
WISCの検査結果は手元にありました。
でも当時の私には、その数字が何を意味するのか、よくわかりませんでした。
専門家の方々は、おそらくわかっていたんだと思います。
教えてもらえなかったのか、教えてもらっても理解できなかったのか。
今となっては、どちらだったかわかりません。どちらにせよ、私は理解できていませんでした。
この時期は、学校のことだけでなく、家庭の外でも色々なことが起きていて、息子はさらに荒れ、不登校になっていきました。
追い詰められていた頃に、児童相談所の方から言っていただいた一言があります。
「ほとんど、お母さんがやってきたんじゃないですか。」
その言葉で、少し、自分を取り戻しました。
児童相談所というと、虐待対応のイメージを持つ方が多いかもしれません。でも、子育てに関する相談も受けています。あの頃の私は、もっと頼ってよかったと今は思っています。
(参考:療育とは何か——対象・種類・受け方を、経験者が書きました)
支援学級に戻ることを選んだ——知らなかった「制度の壁」
小4になっても、息子は名目上は普通学級に在籍したまま、ほぼ不登校状態が続きました。
教室にいても、何をするわけでもなく、ただいるだけの状態でした。
あるとき、担任の先生がこうおっしゃいました。
「お母さんしか理解してませんよ、息子くんのことを。」
厳しい言葉でしたが、私にはその言葉が、少しだけありがたかったです。
この頃から、関係各所が少しずつ連携して動いてくれるようになりました。
交流授業を挟みながら、支援学級への転籍という方針が固まっていきました。
転籍を進める中で、初めて知ったことがありました。
学習面や日常の会話から知的障害を疑っていたので、知的障害のクラスへの配置を希望して確認しました。そのとき言われたのは、「一度普通学級に行ってから支援学級に戻る場合は、情緒・自閉症クラスへの配置になる」ということでした。
知的クラスを希望しても、叶わなかった。
転籍を2回経験しなければ、おそらく知る機会がない話だと思います。
私もそのときまで、まったく知りませんでした。
小5、支援学級に戻った年
小5の春、息子は支援学級に転籍しました。
その年、息子は1年間、学校に通いました。
——1年間、学校に通った。
それだけのことを書くのに、少し時間がかかります。
普通学級に在籍していた間、1年間通えたことは一度もありませんでした。
給食を食べました。
小学校に入ってから、ずっと食べられなかった給食を、その年、食べました。
金管バンドを始めました。自分から手を挙げて、自分で選んで、参加しました。
当たり前のことかもしれません。
でもこれを書いているとき、私には当たり前には感じられません。
戻ることは、後退ではなかった
転籍を決める少し前、放課後等デイサービスの先生に言われた言葉がありました。
「いつか、この経験があったから今があると思えるときがくるから。」
そのとき私は、心の中で思いました。
そんなわけない、と。
今でも、「あのとき経験したおかげ」とは思えません。
後悔はあります。
もっと早く戻ることを選べていたら、とは思います。
ただ、当時の私には、あれが精一杯でした。
この経験は、今も「よかった」という言葉には変わっていません。
良くも悪くも、戒めです。
同じ轍は踏まない。それくらいのことです。
それでも、息子は変わりました。
支援学級に戻った年、初めて1年間通えました。
自分から選んで、バンドで楽器を吹きました。
翌年は、放送委員になりました。
「戻ること」は、後退ではありませんでした。
少なくとも、息子にとっては。
同じような経験をされた方に、何か届けばと思って書きました。
何がいいかわかりません。ただ、こういうことがあった、という記録です。
息子を長く支えてくれた相談支援専門員との出会いについては、別の記事に書きました。
→ 相談支援専門員と出会えたのは、偶然でした——小1〜4、不登校の4年間を支えてもらった記録
支援学級に戻ってから、息子は落ち着いて学校に通えるようになりました。でも今度は、学習の遅れが気になり始めました。
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