今年、息子は小学6年生になった。3歳で発達障害(自閉症スペクトラム傾向)と診断を受け、就学前の時期に自閉症と診断された。あれからもう何年になるだろう。中学進学が、すぐそこに迫っている。
振り返ると、この「選ぶ」という行為は、息子が保育園に入る前から、ずっと続いていた。
犬のほうが賢かった、と何度思ったことか
息子より2歳年上のボーダーコリーがいる。
一言で覚えることを、息子は何度言っても忘れた。最小限の失敗で学ぶ犬に対して、息子は同じところで何度も転んだ。偏食で食べない息子の隣で、犬は息子が床に散らかした食べ物まできれいに平らげた。
外で息子が泣き叫んで暴れているとき、誰も手を差し伸べてくれなかった。でも犬が迷子になれば、仲間が連れて帰ってくれた。愛嬌を振りまけば、助けてもらえる。子どもには、その手が差し伸べられない。
何度、中身が入れ替わってくれないかと願ったことか。
笑えない話なのに、書いていると少し笑えてくる。あの頃の私は、本気でそう思っていた。
ただ——犬を生涯囲っておくことはできても、息子はそうはいかない。寿命が全然違う。親が先に逝く。その後、息子はどうなるんだろう。
その怖さが、「大変でも、できることをやっておこう」という選択の根っこにあった気がする。
なぜ、つらい選択をするのか
息子を見ていてよく思うことがあった。
なんて、つらい選択をする子なんだろう。
お腹が空いている。でも、食べたいものがないから食べない。喉が乾いている。でも、水を飲むとトイレに行きたくなる。だから、飲まない。
そして——トイレに行けないことが恥ずかしいと、息子自身は分かっていた。分かっているのに、行けない。
だからどうしたか。用を足したくなると、誰の目にも触れない場所に静かに移動する。そこでオムツに履き替えて、用を足して、片して、もとの下着に戻して、何事もなかったように戻ってくる。
完璧に筋の通った、息子なりの解決策だった。
でも、なんて生き辛い選択をする子なんだ、と思った。正しいのに、窮屈だった。
2歳クラスから始まった、4年間
最初は、近所の認可保育園に半年通った。1歳上のお姉さんが自然と面倒を見てくれた。帰宅後の八つ当たりはあったけれど、なんとか通えていた。
次に、市立保育園を申請した。1歳児クラスは落選。2歳児クラスから、加配つきで入園できることになった。
加配とは、障害のある子どもへの支援のために保育所に追加で配置される保育士のこと。申請が通るかどうかは自治体の判断によるため、必ずつくわけではない。そういうことも、後から知っていった。
加配担当の先生は、似たような傾向のあるお子さんを育てているお母さんだった。当事者の視点を持つ人が隣にいる。それだけで、何かが少し違うように感じた。
入園してまもなく、息子は職員室のドアを破壊した。
認可保育園でも、同じことをやっていた。2か所目だった。
両方の先生から言われた言葉が、今でも忘れられない。
「職員室のセキュリティが甘いことがわかりました。」
怒られなかった。責められなかった。そういう大人が、保育の現場にはいた。
年少・年中、先生との出会い
年少のとき、療育センターからベテランの保育士が異動してきた。息子のクラスを担当してくれた。
年少の運動会。息子は先生にずっと抱っこされていた。
年中の運動会。息子は、みんなと一緒に競技に参加した。
それだけで、泣けた。
2年間、その先生と過ごして、息子の世界は少しずつ広がっていた。
年長、コロナの年
年長に上がるとき、ベテランの先生は別の保育園に異動していった。
代わりに担任になってくれたのは、2歳クラスから息子を知っている先生だった。入園からずっと同じクラスや活動を通じて息子を見てきた人が、最後の1年も一緒にいてくれた。
その年はコロナだった。運動会ができるかどうか、ずっと分からなかった。
でも先生方が工夫してくれた。学年ごとに入れ替わりで、競技と演舞を披露する形にしてくれた。
息子は他の子より1テンポ遅かった。縄跳びはできないから、先生が回してくれる大縄に切り替えてもらった。でも、1人で跳んだ。
周りの保護者の方と、一緒に喜んだ。
クラスには、社会性のあるカリスマ的な子がいた。息子が遅れそうになると、さりげなく隣に来てくれた。先生がお願いしているわけでもなく、その子が自然にそうしていた。
年長の秋、友達に誘われてトイレに行った
ある日、息子がトイレをちらちらと見るようになった。
先生が気づいて、そのカリスマ的な子に小さく声をかけた。「息子くんを誘って、一緒に行ってみて。」
その子は、さりげなく息子を誘った。
年長の10月。息子は初めて、保育園のトイレで用を足した。
トイレが外れたことより——友達に誘ってもらえたことが、私には一番嬉しかった。
「一緒に行こう」と声をかけてもらえる子になっていた。その場所に、息子はいた。
2歳クラスから数えると、4年が経っていた。たくさんの「できない」を積み重ねてきた。ドアも破壊した。水も飲まなかった。でもあの日、誰かに誘われてトイレに行けた。
それでいい、と思った。
振り返れば、どの場所にも誰かがいた
保育園時代を思い返すと、いつも誰かがいた。
当事者として加配を担当してくれたお母さん。「セキュリティが甘い」と笑ってくれた先生たち。2年間関わってくれたベテランの保育士。最後まで持ち上がってくれた担任。コロナの中で工夫してくれた先生方。そして、さりげなくフォローしてくれたクラスメイト。
私一人で育てたのではなかった。
今、息子は中学進学を前にしている。また選ばなければならない。でもあの頃とは少し違う。どんな場所でも、誰かがいることを、私はもう知っている。
なぜつらい選択をするのか——答えは一言では言えない。でも、その選択の先に、必ず誰かがいた。それだけは言える。
「療育」という言葉と出会ったのも、この保育園時代でした。療育ってどんなものか気になった方はこちらもどうぞ。


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