「ちゃんと理解してほしい」——その気持ちが、いちばんつらかったのかもしれません。
子どものためを思って、順を追って、理屈で伝えようとする。よくないことをしたのなら、なぜいけないのかを、ちゃんとわかってほしい。私はずっと、そうしてきました。
でも、あるとき気づいたんです。私のその「わかってほしい」が、息子の逃げ場を、少しずつ奪っていたことに。
「なんでそんなことするの?」と、私はよく聞いていた
息子は、予定と現実が少しズレるだけで、崩れてしまうことがあります。
「こうなるはず」と思い描いていたことが、その通りにならない。まわりから見れば、ただそれだけのこと。でも本人の中では、足元がぐらつくような出来事になる。
そういうとき、私はよく聞いていました。「なんでそんなことするの?」「さっき、こう言ったよね?」
筋は通しているつもりでした。約束したこと、言ったこと、ひとつずつ順番に確かめていく。でも、確かめれば確かめるほど、息子は黙っていく。あるいは——「もういい」「じゃあ、いらない」と、自分から放り出してしまう。
その姿を、私はずっと「反抗している」と受け取っていました。今は、少し違う見方をしています。
正しいことを言っているのに、なぜ届かないんだろう
長いあいだ、不思議でした。私は、間違ったことは言っていない。なのに、どうして届かないんだろう、と。
あとから知ったのは、感情が大きく揺れているとき、息子には言葉がうまく入らない、ということでした。頭の中がいっぱいになっている状態で、正しさを積み上げられても、それを受け取る余裕がない。この心の揺れは、思春期に入るとさらに大きくなることもあります。
そして、もうひとつ。理屈で追い詰めると、逃げ場がなくなる、ということ。
「なんで?」と聞かれても、本人にも、その理由が言葉にできない。答えられないのに、正しさだけが目の前に積み上がっていく。逃げ道のない場所へ、じわじわと追い込まれていく。
「もういい」「どうでもいい」——あの投げやりな言葉は、反抗ではなくて、追い詰められた子が最後に見つけた、たったひとつの非常口だったのかもしれない。今は、そう思っています。
崩れやすくなる時期がある
もうひとつ、あとから見えてきたことがあります。
息子は、予定と現実のズレにもともと弱いのですが、それに加えて、いつもより崩れやすくなる時期がある、ということです。
暑さが続く季節。体が急に大きくなって、疲れやすくなっている時期。そういうものがいくつも重なると、ふだんなら流せる小さなズレでも、うまく流せなくなる。心と体が大きく動く時期の変化は、思っていた以上に本人の負担になっているようでした。
子どもの側に何か理由があるというより、ただ、いろんな波が同じ時期に重なっているだけ。そう思えるようになってから、私自身も少しだけ、身構えずにいられるようになりました。
私が変えたこと
劇的なことをしたわけではありません。ただ、やめたことと、変えたことが、いくつかあります。
まず、息子が高ぶっているときは、いったん言葉を止めるようにしました。正しさを伝えたい気持ちは、ぐっと飲み込む。その瞬間に伝えても、どうせ入っていかないから。
落ち着いてから、短く、事実だけ。「さっきは、こうだったね。次はこうしようか」。それくらいにとどめる。
「なんでそんなことするの?」も、なるべく口にしないようにしました。代わりに聞くのは、「どうしたかったの?」「何が嫌だった?」。理由を問い詰めるのではなくて、気持ちを言葉にする手伝いのほうへ、少しずらしてみる。
そして、距離を取ること。以前の私なら「逃げるな」と思っていました。でも、頭を冷やせる場所に一度離れることは、突き放すこととは違う。むしろ、そのほうが早く戻ってこられる。完全に遮断はしない距離の取り方を、少しずつ探っているところです。
理詰めをやめても、甘やかしにはならなかった
心配だったのは、「これは甘やかしになるんじゃないか」ということでした。
でも、実際は逆でした。追い詰めるのをやめたら、息子は、自分で考えられるようになっていったんです。
落ち着いた場所で、自分なりに「じゃあ、こうしてみようかな」と口にすることが、少しずつ増えていく。追い詰められている最中には、絶対に出てこなかった言葉です。
特性は、免罪符ではないと思っています。困りごとがあるからといって、何をしてもいいわけではない。それは、私なりに息子へ伝えてきました。
でも——自分の弱いところと向き合って、どうすればいいかを考えるためには、逃げ場が要る。追い詰められた場所では、人は、自分を守ることだけで精一杯になってしまう。安心できる場所があってはじめて、その子は前を向ける。今は、そう感じています。
相互理解には、時間がかかる
理屈で伝えようとしてしまったのは、たぶん、わかってほしかったからです。そして私自身も、息子のことをわかりたかった。
でも、人と人がわかり合うのには、時間がかかる。しかも、ほんとうに理解し合えるのかというと、それは、そう簡単なことではないのかもしれません。うっかり「なんで?」と口にしてしまう日は、今でもあります。
今思うのは、それくらいのことです。
息子が“矛盾のない行動”を自分で取り直していった修了式の日のことは、こちらに書きました。
この記事について:この記事は、運営者(万樹)が発達障害のある子どもを育てるなかでの実体験と、自分なりに調べた内容をもとに書いています。制度の運用や支援の要否には地域差・個人差があります。具体的なご判断は、お住まいの自治体の窓口や専門機関にご確認ください。


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