来春、中学生になる自閉スペクトラム症の息子がいます。
進路のことを考える時期に入って、私のなかにずっとある問いがあります。
AIがこれだけ進歩している今、この子にどこまで学力をつけさせるのが正しいのだろう——。
ニュースを見れば、AIが文章を書き、絵を描き、プログラムを組み、専門家の仕事を次々こなしていきます。その一方で、目の前の息子は、漢字の書き取りや計算に人一倍時間がかかります。この勉強は、この子が大人になる頃、どんな意味を持つのだろう。同じ問いを抱えている方は、きっといるはずです。
これは答えの出た話ではありません。ただ、考え続けてきて、私なりに行き着いた場所があります。今日はその整理を書きます。
「AIに負けない子に」と考えて、疲れていた
最初のうち、私はどこかで「AIに取って代わられない力をつけさせなければ」という向きで考えていました。
でも、この考え方は、突き詰めるほど苦しくなります。
教科書にあるような知識や専門性は、どれだけ積み上げても、AIのほうが速くて広い。よほど好きで、よほど得意な分野であっても、「AI以上にできる」ようになるのは、正直むずかしいだろうと私は思っています。それは息子に限った話ではなく、大人の私たちも同じです。
「負けない」を目標にすると、ゴールのない競争になる。しかも相手は年々強くなる。この構図のまま息子の学びを考えるのは、無理があるとある時気づきました。
「AIはパートナー」と考えたら、力の注ぎ先が見えた
発想を変えたら、霧が晴れた気がしました。
AIは、対戦相手ではなくパートナーなのだ、と。
パートナーだと考えると、力の注ぎ先が変わります。AIと重なるところ——つまりAIが得意なことを、人間が同じ土俵でがんばる必要は薄くなる。その分の力を、AIが苦手とするところに注いだほうが、結果として色々なことができるようになる。
そして、自分の不得意なところは、AIにサポートしてもらえばいい。
これは、息子のような凸凹の大きい子にとって、追い風になりうる考え方だと私は思っています。苦手を全部自力で埋めなくても、補ってくれる相棒がいる時代になった。ぶつかるのではなく、共存するための学びへ。私のなかで、問いの立て方そのものが変わりました。
それでも、文字・計算・理論を手放さない理由
では、勉強はもういらないのかというと、私はそうは考えていません。
文字が読めること。計算の意味が分かること。理屈の筋道を追えること。これらは、AIが言っていることを理解するために大切だと思うからです。
パートナーの言葉が分からなければ、相談もできません。AIの答えが合っているのか、ずれているのか、自分に引き寄せて判断するには、土台になる基礎の力がいる。自分がある程度できるからこそ、AIは「代わりにやってくれる何か」ではなく「相談役」になってくれるのだと思います。
つまり、基礎学力を捨てるのではなくて、意味が変わったのだと捉えています。「自分で全部できるようになるための勉強」から、「相棒と対話するための勉強」へ。そう考えると、息子が時間をかけて漢字や計算に取り組んでいることは、少しも無駄ではないと思えるのです。
スマホやゲームとの付き合いのなかでデジタルの入り口を一緒に整えてきたことも(発達障害の子どもとスマホ)、振り返ればこの「相棒と付き合う練習」の一部だったのかもしれません。
なんでもかんでも詰め込む必要は、あるのだろうか
一方で、正直に思っていることも書きます。
全教科をまんべんなく、高いレベルで詰め込んでいく学び方——たとえば高校の普通科で求められるような課程が、息子に必要かというと、私は疑問を持っています。AIがやってくれることを、苦手を押して全部自分の頭に入れる必要が、この子にあるのだろうか、と。
中学の進路を考えるなかで、内申点の仕組みなど、学校の評価の現実も見てきました(発達障害の子と中学の内申点問題)。全部で戦わなくていい、という視点は、その現実を前にした私の支えでもあります。
ただし、これは「うちの息子にとってどうか」という話です。
そして、息子が「やりたい」と言うなら、やればいいとも思っています。本人に目標ができて、そのために普通科の勉強が必要なら、それを優先する。親の見立てより、本人の「やりたい」が先。ここだけは、順番を間違えないでいたいと思っています。
息子の「手を動かす力」は、AIが苦手な領域
では、息子の力の注ぎ先はどこか。
私が見てきた息子は、実物の世界で伸びる子です。手を動かして、ものを作る。実際の場所へ行って、実物を見て、覚えて、確かめる。基地のイベントで飛行機を前にしたとき、図書館で読んだ知識と目の前の実物が息子のなかでつながる瞬間を、私は何度も見てきました。
手を動かす仕事、現場でものと向き合う仕事は、AIにとって苦手な領域だと言われます。少なくとも今の私には、そこが息子の「注ぎ先」に見えています。
だから、進路のイメージも変わりました。ものづくりを学べる高校で技術を身につけていく道は、息子の特性に合っているというだけでなく、AIの時代を生きる作戦としても筋が通っているのではないか——今はそんなふうに考えています。
もちろん、これは現時点のイメージです。「普通級に行く」と自分で決めたときのように、進む道は息子が自分で選んでいくのだと思います。私の役目は、選択肢を知っておいて、息子が選ぶときに並べて見せられるようにしておくことです。
「評価軸の外」で生きる力として
この問いを考え続けて気づいたのは、これが結局、学力の話だけではないということでした。
学校の成績という一つのものさしで「できない子」と扱われた子が、自信を失って、認められる場所を外に求めてしまう——そこにつけ込む大人がいるという話を、先日書きました。
AIはパートナーだと考えて、自分の得意な領域に力を注ぐ。それは、一つのものさしに依存せずに生きるということでもあると思います。学校の評価軸のなかで勝てなくても、自分の土俵を知っていて、そこで手を動かせて、足りないところは相棒に補ってもらえる。そういう立ち方ができたら、この子は搾取されずに、自分の力で生きていけるのではないか。
答え合わせができるのは、ずっと先です。それでも、同じ問いの前に立っている方へ、一人の親の現在地として、この記事を残しておきます。
※AIの今後についての記述は、現時点での私個人の考えです。
この記事について:この記事は、運営者(万樹)が発達障害のある子どもを育てるなかでの実体験と、自分なりに調べた内容をもとに書いています。制度の運用や支援の要否には地域差・個人差があります。具体的なご判断は、お住まいの自治体の窓口や専門機関にご確認ください。


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