相談した。
勇気を出して、電話して、予約して、出かけた。子どものことを、言葉にして伝えた。
そして帰ってきた言葉が——
「様子を見ましょう」
その言葉を聞いた瞬間、何を感じましたか。
ほっとしましたか。それとも、どこかでがっかりしましたか。「私の気のせいだったのかな」と思いながら、でもやっぱり「気になる」が消えなくて、家に帰ってからまた一人で抱えていましたか。
私自身の経験をお話しします。皆様の悩みを軽くする、小さな一助になれたなら幸いです。
傷ついていい
正直に書きます。
「様子を見ましょう」と言われたとき、私は傷つきました。
「心配性ですよ」と言われたこともありました。そのたびに「やっぱり私がおかしかったのかな」と思いながら、でも「気になる」が消えることはなかった。
その経験を持つ方に、まず伝えたいことがあります。
傷ついて当然です。
勇気を出して動いたのに、前に進めなかった。その痛みは本物です。「心配性」という言葉に傷ついたことも、正直な気持ちです。
そして——あなたの感覚は、間違っていませんでした。
「様子を見ましょう」の意味
少しだけ、あの言葉について話します。
当時の私は「様子を見ましょう」を「心配性ですよ」と言われているように受け取っていました。傷ついたのは、そのせいだったと思います。
でも今は、少し違う受け取り方ができます。
発達障害の診断は、問診や観察だけで出るものではありません。検査があり、時間があり、複数の場面での確認が必要です。「自閉症ですね」「発達障害ですね」と気安く口にすることは、医師であっても、保健師さんであっても、できないことです。
「様子を見ましょう」は、「今の段階では、まだ判断できない」という意味だったのかもしれない。
あなたの心配が「大したことない」と思われたわけではなかった——今はそう受け取れます。
ただ、当時の私にはそう思えなかった。傷ついたことも、本当のことです。
私が経験した「盥回し」の現実
あの頃の動き方を、正直にお話しします。
保健センターで「様子を見て」
最初に電話したのは、市区町村の保健センターでした。
予約を取って、子どもを連れて行って、「気になること」を一つひとつ話しました。どれだけ時間をかけて準備したか。
帰り際に言われた言葉は「この月齢ではよくあることですよ。様子を見ましょう」でした。
それで終わりました。
また「様子を見て」
次にかかりつけの小児科に相談しました。
「発達相談を受け付けていますか?」と電話で確認してから行きました。先生は丁寧に話を聞いてくれました。
それでも、最後の言葉は同じでした。「もう少し様子を見てみましょう」。
それでも動き続けた
何度「様子を見ましょう」と言われても、「気になる」は消えませんでした。
相談のたびに傷ついて、でもやっぱり「このままじゃない」と思って、また次の窓口を探す。そのくり返しでした。
そのころ、気づいたことがあります。
「様子を見ましょう」は、終わりではなく保留だ。
私が動くのをやめなければ、終わりにはならない。
外だけじゃなかった——家の中にも、壁があった
相談窓口で「様子を見ましょう」と言われる一方で、家に帰っても同じような言葉が待っていることがあります。
これは、私が実際に言われた言葉です。
「スマホを見ている暇があれば、子どもと向き合えよ」
「調べたものに子どもを当てはめようとするな」
「そんなことをしているから、気になる行動が増えるんだ」
夫から。私の両親から。子どものことを一番心配している私に向けられた言葉でした。
「様子を見ましょうよ」「療育なんて本当に必要なの?」——外の窓口と同じ言葉が、家の中でも繰り返されました。
そして、保育園の準備期限が迫っているとき、保育園の先生から「実は……」と問題行動を伝えられたとき——タイムリミットが来るたびに出てくる言葉は——
「母親のせいだ」
動かなければ「なぜ動かないのか」。動けば「おかしいことをしている」。どうすれば正解だったのか、今でもわかりません。
ただ一つ言えることがあります。
その言葉は、正しくなかった。
同じような言葉を受けたことがある方に、伝えたいのはそれだけです。あなたが心配したことは、正しかった。動いたことも、正しかった。
窓口を変えていい
一つ、はっきり伝えたいことがあります。
別の場所に相談しに行くことは、失礼ではありません。
「また同じことを話すのが申し訳ない」「前の先生に悪い気がする」——そう思う方もいるのではないでしょうか。
でも、相談窓口は変えていい。何度相談してもいい。合う窓口を見つけるまでに、時間がかかることがある。それだけのことです。
「記録」が次の相談を助けてくれた
途中から、私はメモを取るようにしました。
- いつ、どこに相談したか
- どんなことを話したか
- 何と言われたか
これを持って次の窓口に行くと、話が早くなりました。「前回こちらに相談したところ、このように言われました」と伝えると、相手の対応が変わることがありました。
傷ついた記録も、次の一歩の道具になります。
動き続けた先で、出会えたもの
盥回しのような日々が続いたある日、ようやく「話が通じる」と感じる支援者に出会いました。
相談が伝わった瞬間のことは、今でも覚えています。
「ああ、ここだ」と思いました。
「報われた」というより、「ここまで来られた」という感覚でした。
たくさんの「様子を見ましょう」と、たくさんの傷つきがあって、それでも動き続けた先に、その出会いがありました。
動き続けたことが正解だったとは、一概には言えません。もっと早くたどり着ける道があったかもしれない。
でも——動くのをやめなかったことだけは、よかったと思っています。
今、壁にぶつかっているあなたへ
「様子を見ましょう」と言われて、傷ついている方へ。
あなたの感覚は、間違っていません。
相談が伝わらなかったのは、あなたの伝え方が悪かったからではありません。合う窓口に、まだたどり着いていないだけかもしれない。
次の窓口に動いていい。記録を持って行っていい。同じことをまた話していい。
一つひとつの「様子を見ましょう」が、あなたを前に進めているわけではないかもしれない。でも、相談したその日に、あなたは動いていました。
伝わらなかったその日も、あなたは動いていた。それで十分です。
次の一歩の参考に
「様子を見ましょう」と言われた後、どこに相談するか迷った方は、こちらの記事も参考にしてみてください。
→ 「うちの子、なんか気になる」と思ったら——個性・発達の凸凹・受診の判断まで
このブログは、私自身の経験と調査をもとに書いています。医療・発達に関する個別のご判断は、必ず専門家にご相談ください。


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